Thinking Out Loud

楽しく真剣にグローバルに。某国立大学の平職員です。

ポストコロナの時代を見据えて大学が取り組むべき課題について

1.趣旨

 海外の高等教育専門誌では、ポストコロナの時代を見据えた高等教育の環境変化が盛んに議論されるようになっている。また、筆者が勤務する大学でも、ポストコロナに向けて大学が目指すべき姿をどのように考えるかという議論が行われ始めている。さらに、来年度以降の文教科学予算において、第二、第三の新規感染症対策を見据えた予算が盛り込まれる可能性も大きい。

 こうした状況を受けて、筆者もポストコロナの時代を見据えて大学が取り組むべき課題について思考を巡らせることとなったので、ここに書き留めておく。

2.現状分析

 新型コロナウイルスの感染拡大によって生じた教育面での最大の変化は、言うまでもなく対面授業と通学の禁止である。各大学は、授業のオンライン化により対応を進めているが、学生も教員もオンライン授業のみで構成される大学教育には満足していない。このことを実証する統計データは未だ無いが、大学関係者の体感ではすでに明らかであろう。

 学生が授業のオンライン化に満足しない理由の一つは、学生が大学に求めるものに授業外の経験が含まれるからである。学生が単に授業を受け学位を取得するためだけに大学に来ていると考えるのは誤りであり、授業外で行われるサークル活動や部活動、授業外での教員や同僚学生との交流があってこそ初めて期待する学生生活となるのである。また、多額の費用をかけて留学する外国人留学生にとっては、授業外での異文化体験・国際交流も留学目的の一つとしても捉えられるため、その喪失は外国人留学生に与える影響も大きい。新型コロナウイルス対応のための授業のオンライン化が継続する限り、仮に現在の渡航制限が解除されるような状況になったとしても、海外からの出願者数は激減することが予想される。

 教育社会学の言葉を借りれば、キャンパスライフは「隠れたカリキュラム(=hidden curriculum)」とも称され、学生の人間形成に少なくない影響を及ぼすものと考えられている。このため、キャンパスライフの喪失がもたらす学生の学びへの影響は軽視できない。また、学生は教員からだけなく同僚学生からも様々なことを学ぶものであると考えると、授業のオンライン化に際しては教員(大学)―学生間のコミュニケーションだけを確保しても不十分であり、学生―学生間のコミュニケーションを授業の内外においてどのように確保できるかが今後の課題となる。

 他方、教員がオンライン授業に満足しない理由には、単にオンラインのツールが使いにくいというだけではなく、実験・実習や学外でのインターンシップができないこと、成績評価のために筆記試験を実施するのが困難なことなど、対面授業を前提にしたカリキュラムのオンライン化に当たり、実際的な問題が生じていることも含まれる。また、オンライン化が比較的容易な知識伝達型の授業とは違い、卒業研究やゼミのように、教員と個々の学生の間でインタラクティブに指導することを通じてアカデミックな思考能力や研究能力を形成することを目的とする教育のオンライン化が困難であることは、MOOCs等が当初想定されていたよりも普及しない理由の一つとして、かねてより指摘があったものである[1]

 さらに、ボストン・カレッジの著名な高等教育研究者であるDr. Philip G AltbachとDr. Hans de Witは、ポストコロナの時代において、大学教育において授業のオンライン化が定着・普及するかどうかという問いに対し次のように答えている。

 

“今回の教訓は活かされるし、(遠隔教育に関する)教員のスキルも実際にやりながら覚えることにより向上し、学修のためのプラットフォームやオンラインによるカリキュラムも改善されるだろうが、高等教育において持続的かつ重大な“技術革命”をもたらすかどうかについては懐疑的である。・・・(中略)・・・コミュニティ、大学の威信、教育者同士のネットワーク、学修面での利点など、理由を上げればきりがないが、学生と教員は引き続き対面で提供される高等教育を好むだろう。これまでの伝統的な大学経験は、もしかするとトップ大学に入学する経済的に豊かな学生により特権的なものになってくるかもしれない。[2]

 

 少数の研究者による主観的な予想ではあるが、遠隔教育先進国の米国においても、新型コロナウイルスの経験を契機とした遠隔教育の普及が、新しい高等教育の在り方を提示するまでに至るとは考えられていないのである。

3.新たなチャンス

 上述したとおり、授業の完全なオンライン化には学生も教員も満足しておらず、また、遠隔教育が高等教育に大規模な変革をもたらすとは未だ考えにくい状況にある。しかしながら、遠隔教育に係るハード(=IT環境)とソフト(=教員・学生の活用能力)が向上することによって、例えば次に挙げるようなチャンスが生まれてくる。これらのチャンスは、引き続き対面授業を前提としたカリキュラムを実施する大学にも実現可能な内容である。

  • 遠隔教育コンテンツの蓄積と教員・学生の活用能力の向上により、反転授業を全学的に推進する環境が整備される。
  • 遠隔教育コンテンツの蓄積により、日本全国又は海外からの出願希望者に対し、オンラインによる模擬授業の体験やファウンデーションコース(=主にイギリスの大学に見られる進学のための準備課程)を提供するための前提条件が整備される。
  • 世界中の大学教員がオンラインでの授業に慣れたことにより、海外または日本全国の教員をゲストスピーカーとして招待しやすくなる。
  • 授業の一部のコマをオンライン化する又は一部の授業についてオンライン化することにより、教育に係るコストを低減するチャンスが生まれる。(例:教員の移動に係る旅費及び時間的コストの削減)

 上記に挙げた事項はそれぞれ大学の方針に基づいて取捨選択又は優先順位を決めた上で取り組まれるべきものであるが、最低限、春学期の授業が終了した後の夏休み期間を目途に、遠隔授業コンテンツの保存を促すための学内への周知を行うとともに、遠隔授業の体験に関する教員・学生の意識調査を行っておくことが必要ではないかと考える。

4.第二、第三の新規感染症対策に向けた投資

 上記3に挙げた事項のほか、第二、第三の新規感染症が発生することを想定した将来への投資も必要になる。また、このことは、次世代社会の創造という社会的使命を担う大学が、自らの教育形態を次世代に向けてアップデートすることができるかどうかという問題でもある。そこで、上記2に記載した現状分析に基づいて、今後取り組まれるべきと考える事項について以下に記述する。

  • バーチャル・キャンパスライフの創出
    上記2で述べたとおり、キャンパスライフは隠れたカリキュラムと称されるほど重要な観点であり、これをオンライン化する努力が必要である。そうでなければ、仮に授業をすべてオンラインで十分に実施できる環境が整ったとしても、第二、第三の新規感染症が発生した際に、今回同様の不満が学生に募ることは避けられないからである。
     具体的な取組としては、例えば、新入生がサークル・部活に参加するための窓口として、すべての学生団体の概要と参加方法をWEB検索できるようにすることが考えられる。サークルや部活に登録するための最初のコンタクトがオンラインでできれば、後は学生達が自らSNSのグループを作成し、自然と授業外での友人形成も進むだろう。なお、職員が情報収集して登録する形式では登録・更新に係る作業量が膨大になるので、学生団体自らが登録できるようなプラットフォームを整備し、職員は公序良俗に反するような内容がないかどうかだけを確認してWEB上で許可する形式にすれば良いものと思われる。
     筆者が数年前に研修のため滞在したアメリカの大学では、すでにこのようなWEBプラットフォームが存在していた。外国人として右も左も分からなかった当時の私は、このWEBプラットフォームを通じていくつかの学生団体に参加することができた経験があるところ、こうしたツールは平時でも有効なシステムとして機能するものと考えている。
  • オンライン授業の高度化
    オンライン授業の高度化のためには、下記の課題を解決しなければならない。
    1. オンライン授業におけるグループワークや教員ー学生間及び学生ー学生間のコミュニケーションの活性化
    2. 授業内筆記試験のオンライン化(不正防止を含む。)
    3. 実験・実習のVR
     上記1及び2については、必要なIT環境があればいずれもすでに技術的には実現可能であり、学内先進事例の収集とFDによる普及の循環サイクルを構築することで解決できるものと思われる。ただし、より本格的に推進するためには、学内公募型事業などによる予算措置を行うことが望ましい。
     また、上記3について、未知のデータを得るために行われる実験・実習のVR化は実現不可能かもしれないが、主に学部レベルで行われている既知の手順と反応を理解するための実験・実習のVR化は技術的には可能と考えられる。実際、すでに民間企業によるサービスも提供されており、海外ではアリゾナ州立大学など大学レベルでの活用事例も見られるようになってきているようである[3]。実現のためには多少の投資が必要であり、また、いきなり大規模な導入を進めるには困難も多いと予想されるため、特定の教育組織又は授業科目で試行的に導入するところから始めるのが望ましい。なお、これが実現した場合には、実験・実習科目に係る教員・TA・施設設備の負担が軽減されるという副次的効果もある。
  • 入試の共通化とオンライン化
    対面による筆記試験を行うことができない場合にどのように適切な入学者選抜を行うかは非常に危機的な課題である。主に冬の時期に行われる学部入試の場合には未だ時間的猶予があるが、大学院の入試は夏の早い時期から行う大学も多いだろう。喫緊には現場との意見交換を重ねてできる範囲の対応を採ることとせざるを得ないが、将来にわたってこの課題を解決するためには、①学部・大学院とも筆記試験を全国レベルで共通化し、②国レベルの投資を受けた上でオンライン化に向けた環境整備をするのが最も効率的であろう。なぜオンライン化の前に共通化が必要かと言えば、一大学で取り組んでいる限り、受験者側の環境整備が促進されないからである。
     アメリカでは学部レベルの統一試験としてSATやACTがあり、大学院レベルの統一試験としてもGREやGMATが存在するため、学部でも大学院でも個別の大学による筆記試験は行われないのが一般的である。この点は日本の大学が外国人留学生をリクルートする際の共通課題としてかねてより認識されてきたものでもあり、これを機に学部・大学院とも全国レベルでの筆記試験の共通化とオンライン化の道を模索することを始めるべきである。
     筆記試験の共通化は、2020年度に予定されていた大学入試改革の経緯を見ると極めて実現困難な課題ではあるものの、例えば個々の大学において組織ごとに行われている筆記試験を共通化する、海外在住者を対象とした入試区分に限って全学で共通化する、国立大学協会など特定の大学群で統一するなど、できるところから試行的に実施することにより、モデルケースが生まれてくると良いのではないかと考えている。なお、筆記試験のオンライン化については、例えばアメリカでSATを提供しているCollege Boardが自宅でできるデジタルSATの実施を予定しているところ[4]、こうした事例を調査するところから始めるのが良いだろう。
  • 初等中等教育段階に生じる格差是正の支援
    教育のオンライン化は、学生側のIT環境の充実度合いにより教育格差を生み出すと言われている。このため、すでに大学に入学している在学生のIT環境構築支援は喫緊に取り組まなければいけない課題である。しかし、初等中等段階においても同様の格差が生じていることも見過ごせない。
     初等中等教育においては、学校ごと又は教員ごとにIT環境及びITリテラシーの差が激しいと考えられるため、問題はより深刻である。つまり、仮に生徒側のIT環境が十分にあったとしても、学校ごと又は教員ごとに提供される教育の質が著しく異なってくる懸念があるのである。このことが学習指導要領に基づいて教育水準の統一が図られている初等中等教育にもたらす影響は大きい。さらに、こうした状況は学校内教育の弱体化をもたらし、生徒の家庭の経済水準に依存する学校外教育の相対的な重要性の増大にもつながるため、二重の意味で教育格差が拡大していく可能性がある。初等中等教育段階で教育された生徒を学生として受け入れる大学の立場からも、無視できない課題である。
     解決のためには、国による小中高の学校のITインフラ整備のための支援に加えて、大学でも、オンラインによる教育方法を高度化・充実させるための初等中等教育の教師支援などについて、何らかの検討を行っていく必要があるのではないか。具体的かつ比較的容易に実現できると考えられるのは、上記3で述べた遠隔授業の体験に関する教員・学生の意識調査を行った結果とともに、オンライン授業に関する各大学の先進事例をまとめ、初等中等教育段階の学校教員にも参考にできる形で発信することが考えられる。特に、高校教員の役に立つ情報が提供できれば、進路指導等を通して、潜在的な志願者層における大学のブランドイメージの向上に寄与することも期待できる。勿論、一般の大学教員が初等中等教育段階の教員よりも優れた教育を行うことができているとは限らないが、教育学の教員を有する大学であれば、当該教員の知見を借りることにより現場が期待する良質な情報を選別した上で提供していくことも可能だろう。

5.総括

 本稿では、第1節で趣旨を述べ、第2節で現状分析を行い、第3節で対面授業を前提とした上で今回の経験を活かすためのチャンスを列挙し、第4節で第二、第三の新規感染症が発生することを想定した将来への投資について考えられる事項を挙げた。繰り返しになるが、第3節及び第4節で挙げた事項はいずれも大学としての方針に基づいて取捨選択又は優先順位を付けて取り組まれるべきものである。また、第3節及び第4節で挙げた事項は、筆者が勤務する大学で具体的な提案にまで持っていけそうな範囲で書き留めているに過ぎないので、網羅性に欠けると感じられる向きもあるかもしれない。さらに、新型コロナウイルスの経験は大学の経営面や研究面にも少なからず影響を及ぼすものと考えられるが、本稿はあくまで教育面に絞っている。これらのことを最後に断った上で、ひとまず結びとする。

 

[1] 例えば、オックスフォード大学の苅谷剛彦教授(教育社会学)は、MOOCs等のオンライン教育が進展する中でもオックスフォード大学が対面でのチュートリアル教育を堅持する理由として、知の形成を行うための学問的訓練は知識伝達型授業とは異なりオンライン化が困難と考えられているからとしている。(苅谷剛彦吉見俊哉(2020)『大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起』集英社新書. pp.248-249.)

[2] Altbach, P. G., & De Wit, H. (2020). Postpandemic outlook for higher education is bleakest for the poorest, International Higher Education. 100. pp. 3-5.

[3] 参考記事:https://xrbizmag.com/archives/1738

[4] College Boardのコロナ対策に関するwebページ:https://pages.collegeboard.org/sat-covid-19-updates

 

【データ】スーパーグローバル大学に対する実際の補助金交付額

気になったので、文部科学省による公表情報を基に調べてみました。

なお、経済社会の発展を牽引するグローバル人材育成支援(GGJ事業)が事業組み換えにより2014年度からSGU事業に一本化されているようですので、2014年度はGGJ事業の当初配分額を加えています。

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【出典】予算の支出状況等の公表:文部科学省を基に筆者作成。なお、2017年度は下半期のデータが未公表となっているため、上半期のデータ(当初交付決定額)のみとなっています。

 なお、公募要領では、標準的な支援額は、タイプAで4.2億円、タイプBで1.72億円とされていました。(いずれも1年あたりの金額)

【参考】平成26年度スーパーグローバル大学等事業「スーパーグローバル大学創成支援」公募要領(抄)

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出典:https://www.jsps.go.jp/j-sgu/data/download/01_sgu_kouboyouryou.pdf

 今回まとめた表によると、2017年度の交付額は1位が東北大学、2位が東京工業大学で、採択大学37校中で3億円を越えているのはこれら2校だけです。しかしながら、公募要領に示されていた当初の標準的な支援額(4.2億円)からは大幅減となっています。

また、2017年12月22日、来年度の政府予算(案)が公表されましたが、SGU事業は約37%減(23億円減)の40億円となっています。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2017/12/22/1399821_2.pdf

2014年の開始当初は各種メディアで特集が組まれるなど社会的な反響も大きかったSGU事業ですが、もはやかなり状況が異なってきているようです。

世界大学ランキングについて

University World Newsに世界大学ランキングに対する専門家の見解が多数投稿されています。どうも、英国の高等教育関係のシンクタンク(=Higher Education Policy Institute)が世界大学ランキングの欠陥を指摘する報告書(内容はそこまで目新しいものでは無さそうなので割愛)を発表したことで、議論が盛り上がっているようです。

 

私が読んだのは、以下。

Why most universities should quit the rankings game - University World News

 

上記記事の著者であるPhilip G Altbach氏とEllen Hazelkorn氏は、どちらも世界大学ランキング関係で著名な研究者で、私もいくつか論文を読ませていただいたことがあります。記事の内容を大雑把に要約すると、

 

  1. (特に中堅の)大学は、ランキングを気にすべきでない。
  2. ランク向上のために必要な資源は膨大で、それによってもたらされる(かもしれない)順位の向上には全く見合わない。
  3. 実際、各年の順位の変動は主にランキング方法の変更によってもたらされている。
  4. 研究に関する指標を重視する世界大学ランキングを気にするあまり、大学が本来持っているその他のミッション(=教育など)を見失ってしまう可能性がある。
  5. ランキングでは無く、それぞれの大学が持つミッションを重視すべき。

 

以下、所感。

 

至極真っ当な意見であると思います。特に注目したいのは、上記2と3です。日本の大学がどれだけ頑張ろうと、同じ目的により多くの資源を投入できる新興国(例えば中国)に敵うはずがないし、ランキングを上げようと頑張ったところで順位が大して変わらないのであれば、気にするだけ損だと思います。

 

また、振り返ると、2015年のTimes Higher Education (THE)社による世界大学ランキングで日本の大学が揃って大きく順位を落としたことが話題になりました。順位が落ちた理由はランキング方法の変更によるものとされ、特に国別補正(=country normalization)のかけ方の変更が大きかったようですが、ランキング方法の変更が大学の努力以上の影響をもたらすとしたら、やっぱり気にするだけ損だと思います。

 

参考:World University Rankings blog: treating countries fairly | Times Higher Education (THE)

 

ただ、だからといって世界大学ランキングを無視することは容易ではありません。日本の大学が好むと好まざるとに関わらず、海外の学生や研究者、ひいては政府までもが世界大学ランキングを参照し、留学先や勤務先の選択、自国からの海外留学希望者に対する政府奨学金の支給基準等に活用しているからです。特に政府奨学金については深刻です。日本でも「トビタテ!留学JAPAN」の世界トップレベル大学コースでは、世界トップ100に入っている大学への留学を希望する人に対象を限定していますが、海外でも似たような事例(ブラジル、サウジアラビアなど)は沢山あります。こうした政府奨学金を使って日本に留学したい人をリクルートすることができるのは、世界大学ランキングで良い順位に位置付けている大学だけです。

 

じゃあ、結局どうすれば良いのでしょうか。私の考えは以下の通りです。

 

  1. はじめに、ランキングから一旦離れて長期戦略を策定することが重要です。日本のスーパーグローバル大学創成支援事業では「2023年までに10校をTop100にランクイン」させることを掲げていますが、仮にこの目標を達成できたとして、2024年以降のビジョンを提示している大学はそう多くありません。例えば、2030年や2040年の大学のビジョンを策定し、世界大学ランキング対策はこのビジョンに収まる範囲内において検討・実施するとしてはどうでしょうか。世界大学ランキングにおける順位は、目標には成り得ても目的には成り得ません。まずは目的(大学のミッション)に基づく長期戦略を策定し、長期戦略の下位目標として世界大学ランキングにおける順位の向上を位置付けるべきです。
  2. 上記によって、大学の意思決定が変に揺さぶられる心配はだいぶ軽減されると思います。その上で、日本の大学はランキングの順位に一喜一憂せず、ランキングの評価指標のうち、自分の大学にとっても重要と思われるものだけを見るべきだと思います。例えば、Citationsの指標は客観的な指標ですし、かつ研究大学にとっては平等に重要な指標ですから(分野と言語の問題は残りますが)、総合評価は置いておいてこの指標だけを見る。そう決める。ここまで出来れば、「大学の長期戦略・ミッションと照らし合わせても重要だと考えられる特定の個別指標だけを気にすれば良い」ことになり、より芯の通った大学経営ができるようになると思います。
  3. 最後に、ランキングの見方によっては日本もそう捨てたものではないということを付言しておきます。例えば、上述のTHE社による世界大学ランキング(2016/17)において、日本の大学は上位Top200に2校しか入っておりませんが、ランクインしている全大学(978校)に範囲を広げて見れば、米国(148校)、英国(91校)に次いで、日本は3番目です(69校)。ちなみに、この後は、中国が52校で4番目、ドイツが41校で5番目と続きます。つまり、日本には”スーパー”な大学は少ないかもしれませんが、”グッド”な大学は世界と比べても比較的多いのです(もちろん人口差を考慮する必要はありますが)。

 

もう少しミクロな視点で見れば、Impact Premiumをもたらす国際共著率を上げるとか、その前段階である国際共同研究の促進だとか、細かい戦略は立てられますが、まずはマクロな視点で世界大学ランキングに対する態度をはっきりさせることが重要です。

 

知の拠点たる大学が、民間企業が勝手に作成しているランキングの結果に右往左往する姿は、あまり見ていて気持ちの良いものではありません。世界大学ランキングの登場を良い機会に、それぞれの大学が自身のミッションを再確認し、ブレずに頑張っていって欲しいと思います。